あのひとみん?

文章のトレーニングがてらにブログを始めてみました。

恋愛と性交渉を結び付ける、ということ。

 恋愛を性交渉と結び付ける人がいます。この場合「結び付ける」とは、それらが不可分だと考えることです。つまり「恋愛と性交渉とを結び付ける」とは、「恋愛」と「性交渉」が不可分だと考えることを言います

 もし「結び付ける」「不可分である」ということが直観的に分かりづらいのであれば、以下のように言い換えてみるとわかりやすいかもしれません。「彼女がいいるのに未だに童貞だなんておかしい」、「付き合っている人いるんだー。じゃあもうセックスしまくりなんだな」あるいは「え、君はゲイなの? 襲わないでね」*1。いずれも、「恋愛」行為をしているならば、必ず「性交渉」を経験しているに違いないという、そのような推論が働いているのではないでしょうか。

 しかしこの両者は、論理的にも経験的にも分離可能です。少し極端な話になりますが、もし「恋愛」が「性交渉」と不可分であるとするならば、「性交渉」以外の「恋愛」は成立しえません。なにをばかな、と思う方もいるかもしれませんが論理的にはそうです。「恋愛」が「性交渉」と不可分であるならば、「『性交渉』を伴わない『恋愛』」は『恋愛』ではありません。それに不可分なら、そもそもこの二者を分ける必要がありません。しかし、この推論には違和感を感じるのではないでしょうか。「分ける必要がない」というなら、どうしてわざわざ二つの言葉があるのでしょうか?

 経験的にも考えられます。たとえば、お互いには性交渉をしたことのない2名が「付き合う」ことになったとします。「恋愛」が「性交渉」と不可分であるという主張に基づけば、言うまでもなく、この時点では「恋愛」は成立していません*2。ある日、この2人はデートをすることになりました。しかし、これも「恋愛」ではありません。「性交渉」をしていないからです。2人が「恋愛」していると認められるのは、それから経験するかもしれない実際の「性交渉」をしている場面、しかもその瞬間に限られます。

 こう言うと、このような反論が考えられるかもしれません。「性交渉」の瞬間のみが「恋愛」だというのは極端だ。私が言いたいのはそういうことではなく、「恋愛」をしていればその過程で「性交渉」は必ず経るはずであって、これを経ていない「恋愛」は「真の恋愛」ではない、ということだ。したがって問題なのは"「性交渉」をしている瞬間"ではなくて、"「全体の枠としての恋愛」の中に「性交渉」が含まれている/いない"ことである。「不可分」というのはそのような意味だ。

 なるほど一見筋が通っているようにも見えます。しかしこの主張は「真の恋愛」「全体の枠としての恋愛」という新たな概念を持ち出しています。これは一体どういったものなのでしょうか。

 長くなりそうなので、今回はここで終了させて頂きます。それでは。

 

 

*1:そしてこれらの言説は、しばしばそれが向けられる相手にとって非常に失礼なものです

*2:ただし「普通」想定される考え方では、という留保の下で、です。「付き合う」ことが決まった時点で性交渉をしているのであれば、もちろんこの瞬間は「恋愛」していることになります